【考察】『風よ』は「あなたがたをあるべき場所へ連れてゆくのはわし(藤井風)」という暗示である。

Pocket

藤井風

この記事は「藤井風は心理学的なテクニックを駆使してファンを洗脳しようとしている!」と訴え、藤井風を批判するものではない。むしろ逆である。

例えば、心理学を勉強して営業成績を上げている営業マンがいたとする。その営業マンに何か問題があるだろうか?全くない。どうコミュニケーションをすれば相手に受け入れてもらえるかは、あらゆる人に共通する関心事であり、それが得意な人は賢い人物だと言える。そして自らメロディと言葉で音楽を創りだし歌うアーティストがそのテクニックを使用したとして、どこに非難する点があるのだろう。私が「『風よ』で歌われていることは暗示だ」と気づいてから、風氏に対する感情に変化があったとしたらそれは「あまりに頭が良すぎて更に好きになった」だけだ。
そう、藤井風は頭がいいのだ。


暗示をかける時は、3回は繰り返せ

私が初めて『風よ』で風氏が

全部風が連れてゆく 或るべき場所へ 『風よ』

と歌うのを聴いたのはファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』を発売日前日に購入し家に持って帰った時である。2020年5月19日だ。(その前日に配信Listening Release Partyで既に聴いていたが風氏のあまりのかわいらしさに曲など頭に入って来なかった)

多分初めて聴いた時に「自分のこと言ってるよ」と思ったのだがそれ以降何ヶ月間もそう思うだけだった。ところが先日Twitterで冗談交じりにこうつぶやいたら、日々なんとなく疑問に思っていたことが頭の中で鮮明になったのである。

「HAPPY NEW YEAR 2021 – Piano Live Streaming あけおめ配信」より

もちろんこのツイートは冗談で、笑いを取りたかっただけである。しかし【いつも心に風くんの言葉を】というフレーズは多くの風ファンに響くはずだ。藤井風のファンはいつもHELP EVER HURT NEVERを心がけている。「常に助け、決して傷つけない」を心がけてしまう、という方が近いかも知れない。それは何十回、何百回と聴く1stアルバムから流れる彼の思想が、無意識にしみついているからだ。
そう私達、藤井風ファンはいつも心に風氏の言葉を抱いているのだ。ファンとはそういうものである。

彼の歌詞は何十回、何百回と繰り返し聴かれる。時に歌い時に涙しながら。

そして「風」とは空気が流れ動く現象であり街に、森に、すべての世界に吹くものであるが、同時に「藤井風」でもある。同じ音、同じ漢字である。彼が『風よ』で歌う「風」「風氏」のことだと私は思う。

今回参考にしたのは心理学者、内藤誼人著の「人は「暗示」で9割動く!」(すばる舎)である。

  暗示をかける時は少なくとも「3回」はくり返せ
  人は「暗示」で9割動く!より

とある。3回も暗示をかけられると私たちはそれを絶対的事実として見なしてしまうのである。何百回とHELP EVER HURT NEVERを聴いている藤井風ファンは

  全部風が連れてゆく 或るべき場所へ 『風よ』

を聴いて無意識に「あるべき場所へ連れていってくれるのは風くんなのね」と思うのである。もちろん、風氏本人がこの説明を聞いて肯定するかどうかを私は知らない。肯定などしないと思う。おそらく「いや?風っていうのは吹く風のことじゃ」とそっけなく言うだろう。

そう言ってしまえば終わりだからだ。


「風」とは、誰が歌っても「藤井風」のことである

また他のアーティストが『風よ』をカバーしたとする。誰が歌っても「風」である。「僕」や「私」ではないのだ。他の人が歌ったとしても「あるべき場所へ誘うのは藤井風」なのである。

風氏がどれほどの知能犯か分かるだろう。

もっとも、全ての歌は暗示である。私達は知らず知らず好きな歌を聴きながら暗示にかけられている。だからこの歌を聴いて「風くん、暗示をかけてるよ」と思ったリスナーはきっとたくさんおられるのだろう。あえて取り上げるのは野暮なのかも知れない。

天使


藤井風を最も神聖化しているのは、藤井風本人である

よく藤井風は「神」だの「天使」だのに例えられる。精神性が高く、死を意識し、あらゆる執着からの解放を説き、優しさは強さだと主張する。そしてその姿は信じられないほどに美しい。その反面、素顔はお茶目で飾らない青年である。故に彼を神聖化しまるで教祖のごとく思っているファンは数多くいる。また藤井風を神聖化することに反感を示し、彼が早死にすることを恐れるファンもたくさん存在する。(神聖化されることと早死に何の関連性があるのか私は知らないが)

しかし私は実のところ、藤井風の神聖化に最も尽力しているのは本人だ、と思っている。
風氏は自分では「神である」とも「教祖である」とももちろん言わない。言わないしそう思ってもいないだろう。しかし「藤井風天使説」を知り武道館ワンマンライブで羽をかぶって「やっぱり風くんって天使だったんだ」と言わせたのは藤井風自身だし、『帰ろう』のMVでは羽を吹き飛ばし自ら神聖な雰囲気をかもし出している。ポイントは決して直接的に言わないことである。

はっきりと言明せず、曖昧にぼかせ
人は「暗示」で9割動く!より

つまり重要なのは、ハッキリ言わず遠回しに言うことである。

祈る どうか導いて
願う どうぞ連れて行って
握る 手は離さないで
胸はって 飛んで行かせて 『風よ』

曖昧で間接的だが、導いて欲しいと祈っているのは「藤井風」に対してであり連れて行って欲しいと願うのも「藤井風」に対してである。そして「握る手は離さないで」つまり「ずっとファンでいてね」ということだ。私達はこれを聴いて知らないうちに祈りも願いも風氏にしているのである。

  相手を煙にまいて、言い分を通してしまう
   人は「暗示」で9割動く!より

これがこっそり心理誘導するルールだ、とこの本に明記されている。しっかり心理学的に正しいのである。


謝罪しながらファンを増やす

ついでに。風氏は時折ファンに謝る人物である。彼は謝らなくてもいい所でも謝る。
一般的に男性はブライドが高く、自分を守るため、弱みを握られたくないために謝らない傾向にあると言われる。謝ると責任を認めることにもなる。

下のツイートは2020年6月3日に藤井風公式グッズショップのグッズが、瞬く間に売り切れたことを風氏が謝罪した動画である。これをリアルタイムで見たファンは忘れられないだろう。風氏がいかに絶妙に謝り、それがいかに可愛いかを。

こういう彼の行動を見るたび正直で好感が持てるのだが

謝罪するというのは、好意を得るチャンスなのである。
人は「暗示」で9割動く!より


最後に「あいこちゃん、そんな事言って風くんが『わし、そんな事本当に思っちょらんよ~』って言ったらどうするの?」とお思いの方へ

ご心配なく。何も問題はありません。

・自分のつもりで『風よ』を書いた場合 ➡ 知能犯。頭脳明晰で恐ろしいほど頭がキレる
・何も考えずに『風よ』を書いた場合 ➡ 無意識に作っている本当の天才

どっちにしろ藤井風はすごいのだ。
美男だしね。

ポチあいこ、驚愕のプロフィールはこちら

Capri23autoによるPixabayからの画像と
藤井風公式アプリからの画像と
Fujii Kaze YouTube「HAPPY NEW YEAR 2021 – Piano Live Streaming あけおめ配信」より
写真を使用しました。

【考察】『風よ』は「あなたがたをあるべき場所へ連れてゆくのはわし(藤井風)」という暗示である。” に対して4件のコメントがあります。

  1. ミエ より:

    素晴らし過ぎます❣️

    はい。どっちでも構いません。
    風クン好きは、止まらないのですから。

    1. pochiaiko より:

      ありがとうございます。
      でも絶対確信犯だと思うんですよね。
      普通自分の名前で「風よ」なんて歌作りませんって♪
      ・・・というか普通の名前だと作れないですね。笑

      1. ミエ より:

        ですね。笑

コメントは受け付けていません。